[書評] 日本は悪くない
今、私たちはどんな経済政策を選択すれば良いのか?
「日本は悪くない」は池田勇人内閣の所得倍増計画を支えた大蔵省(現・財務省)出身の経済学博士、下村治氏の著書だ。執筆は1987年と古く、当時の日米貿易摩擦で外圧に揺れる日本国民に対し、悪いのは輸出が多い日本ではなく、内需に見合う生産力のないアメリカだと論理的にわかりやすい言葉で解説している。
日米貿易摩擦は過去の話だが、日本の中枢で高度経済成長を支えた下村治氏の哲学は、今でも読む価値がある。
"私が日頃から心がけていることは、物事を冷静に、偏見にとらわれず見る、ということだけである。"
・何のための経済なのか?
下村氏は、何よりもまず国民経済を重視する。国家の経済政策に重要なのは国民経済を維持・成長させることだ。国家の中心で経済と戦ってきた経験がある人物だけに、そのシンプルな主張には説得力がある。
"本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。"
では、国民経済を守り、育てるためには何をすれば良いのだろうか?
・国民経済を成長させる方法は?
国内の弱い産業は保護して育てる。そして、成長したら国際経済に組み込む。国民経済の成長には、保護主義と自由主義のバランスが重要なのかもしれない。下村氏は、国際的な規制緩和が過度に重視される最近の傾向について、痛烈な批判を展開している。
"ましてや、自由貿易のために政治経済が存在するのでは決してない。それなのに、あたかも自由貿易が人類最高の知恵であり宝であり、犯すべからざる神聖な領域であるかのように言うのは、一体どういう思考の仕方をしているのだろうか。むしろ、敢えて言うなら保護主義こそ国際経済の基本ではないだろうか。まず自国の経済を確立するためには弱い部分を保護する必要がある。そうしなければ、芽も出せないまま消滅してしまうからだ。また、国内の産業が確立できないまま世界市場に組み入れられてしまえば、清朝のように半植民地化されるのがオチである。"
ではなぜ近年、国民経済が軽視されてきたのだろうか?
・なぜ国民経済が軽視されたか?
下村氏の分析は鋭い。国民経済と真っ向から対立する多国籍企業の論理が幅を利かせているというのが現状のようだ。
"ところで、私は、アメリカ政府が自由貿易主義を金科玉条にする背後には、多国籍企業の論理が存在するためだと考える。多国籍企業というのは国民経済の利点についてはまったく考えない。ところが、アメリカの経済思想には多国籍企業の思想が強く反映しているため、どうしても国民経済を無視しがちになってしまう。"
具体的には、多国籍企業の論理とはどのようなものだろうか?
・多国籍企業の論理とは?
多国籍企業の株主は、その企業が利益を上げればそれで良い。しかし、特定の地域の住民からすれば、工場が自分たちの領域になくては収入が得られない。次のような例が挙げられている。
"トヨタがアメリカでどのような車をつくろうと関係はない。それは、トヨタという企業の問題であり、従業員の問題とは別だからだ。この点が混同されてしまっている。極端にいって、アメリカがうるさいからといってトヨタが国内の全工場をアメリカに移転したらどうなるか。トヨタはそれでも利益が上がるだろうが、トヨタに勤めていた人たちは路頭に迷ってしまう。これはどういう状況かと言うと、トヨタという企業が日本の国民経済から足を洗ってアメリカの国民経済に参入した、ということである。決して、日本の国民経済がアメリカに進出したのではない。"
つまるところ、国民経済を成長させるためには、国内のすべての場所に産業が必要なのだろう。確かに、近年のアメリカが国民の生活を過度なアウトソーシングで脅かしているように見えるのも、多国籍企業の株主の観点に立ってみれば合理的だったに違いない。
・経済成長のためには何が必要なのか?
経済成長には何が必要なのか?下村氏の論理で整理してみよう。
まず、国民の生活を向上させるためには、就業機会の確保が不可欠だ。
"何度も言うように、経済活動はその国の国民が生きて行くためにある。国民の生活をいかに向上させるか、雇用をいかに高めるか、したがって、付加価値生産性の高い就業機会をいかにしてつくるか、ということが経済の基本でなければいけない。"
そして、就業機会を確保するためには、需要が高まるようなイノベーションが必要だ。
"まずイノベーションが起こって生産性が向上し、それによって付加価値生産性の高い就業機会が増える。そうすると、その新しい就業機会(産業)はより多くの生産物をつくり出すようになる。こうして生産が増える、つまりGNPが増えるという状態、それが経済成長の実態である。"
イノベーションによる産業の芽を育てるためには、まず保護することが不可欠だ。
"それぞれの国には生きるために維持すべき最低の条件がある。これを無視した自由貿易は百害あって一利なしといってよい。"
つまり、国際政治の力で自国の弱い産業を守る努力と、強い産業を国際競争に組み込み戦わせるという、両面のバランスが重要なのではないだろうか。
もし下村治の哲学に興味のある方は、沢木 耕太郎著「危機の宰相」も読んでみてほしい。
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